どうということもない

どうということもないけど 忘れたくない

諸行無常

 

青森県に降り立つと、その瞬間むわりと強い自然の土気が胎内に流れ込んでくる。空気がうまいという次元を通り越して、空気が襲いかかってきて体内ごと塗り替えられる。赤く爛れた粘膜がすべてつるつるに修復されるような気分になる。そのまま健康診断に行ったらきっといい結果をもらえるに違いない。それくらいこの地の力はすごいのだ。

健康なんていうものも、いつしか変わる。不健康もまた然り。その時々の結果に過ぎないものに囚われ、人は変わることを恐れている。気づいていないうちに皆は変わっているのに。

今年は珍しく二回も青森県に降り立った。祖母が本当に調子が悪く今にも居なくなりそうだと報告を受け、東北自動車道をはるばる速度制限メーターと闘いながら574kmかっ飛ばしてきた。佐野で食事をした時以外、ほとんど止まることがなかった。七時ごろに出発して、到着時刻は午前三時。昔行った時は11時間近くかかったので、ギネスレコードタイムになる可能性があった。

五月には元気に歩いていたはずの祖母は、病床で苦しげに息を溢していた。手は握り込めないほど痩せ細っていた。

 

諸行無常

 

こんな言葉はなかなか日常で使わないものだと思うが、万物が流転し変化絶えないというのは、こういうことだったのかと感じた。

明るい肌は土気色に。窪みながらも爛々と輝いていた瞳は乾燥して焦点を結ばない。肺は喉から管まみれの機械へ繋がれ。酸素供給用の機械はチアノーゼを起こした身体をなんとか現世に繋ぎ止めるため、四六時中活動しつづけていた。ブゥーン、シュコー、ピピ、病室は機械音がくるくる飛び交って、消毒の香りより先に私はこの音たちに疲弊した。

これまでなんとなく感じていた『死』について、今まさにこの瞬間近づいている様子を目にすると、それは驚くほど鮮明だった。しかし噛み砕いてみれば、特に受け入れ難いものでもなかった。

私が小さい頃、祖母は名家の家事手伝いとして住み込みで働いていたのだ。都内にも関わらずガゼボまである大きな庭の、アール・デコ調に飾られた緑色のテーブルをよく覚えている。そこに好きな花を摘んでは私に渡して、嬉しげににこやかに笑っていた。
百合の花粉が強く、肌がかぶれた。
少し皺が多いが、明らかに美人であった。
家庭菜園が好きで水仙や百合など白い花を好み、料理が上手い。どちらかというと薔薇のようにはっきりした美しさを持つひとなので、清楚な花を好むところが可愛らしかった。かと思いきや鼻柱が強く血の気が多い。口喧嘩で勝つものはまずいない。きっと頭の良い人だったが、幼少期家庭が貧しく中学校まで出られなかったことをよく悔やんでいた。

派手好きでお洒落。鄙びた村の呉服屋は一番の得意先として彼女を選んだほどだ。百万くだらない反物を日常の衣類箪笥に忍ばせる豪胆さは、人目にはよく映らなかったかもしれないが……私はかなり好きだった。ディオール、グッチ。海外からの輸入衣料をすんなり着こなし。薄く露の血を引いた彼女は、グレース・ケリーのように彫りが深い顔立ち。当時にしては背が高い彼女は辺鄙な村で『鬼』と呼ばれていた。参観日には外人がいると大騒ぎになったという。
冗談のように小説めいた話ばかりで、祖母のエピソードは本当に面白い。

そんな彼女は村の豪商に嫁ぎ、大層厳しく私の母姉妹を躾けた。それこそ鬼神の如く。氷点下津軽平野へ小学生達を締め出し水を浴びせては眦をあげて叱ったと……若かりし頃の祖母を想像すれば、それさえもすこしグリム童話の様相を帯びるので、人というのは本当に不思議だ。

食事は質素なもので、茄子やササゲなど野菜をよく育てて、味醂や醤油と炒めて出してくれる。でっぷりと実ったそれは肉など入れなくとも存分にご馳走となったし、まず烏賊が好きな彼女は焼いた烏賊をいつもおやつにくれた。それは孫である私にも同じだった。烏賊を食べて水を飲みなさいといつも言われて、遊びに行くたびにそう言われるので少し辟易していたが、今となってはそれさえ煌びやかな思い出に変わる。

本当に面白い人だった。

きっと窮屈であったろう村を出た彼女は東京での一人暮らしをしていた。しかしそれも近年はやめて、青森へまた帰り大きな庭を思いのままにしていた。ブルーベリー、アスパラガス、桃、トマト、シクラメン水仙……沢山の植物に囲まれていた。

彼女は、険がとれて随分よく笑った。張り切って脚立に乗って落ちてしまったりと、少女の闊達さを取り戻したようだった。

美しく生まれた故、業を持った人だったんだろう。そのせいで、言葉にできない沢山の苦労をしたのだろう。決して彼女はそれを語ることはなかったが、年老いて微笑む祖母からは、張り詰めたものが取れたとき特有の美しさが感じられて、その姿もとても好きだった。またいつか何年も何十年もずっと先になれば、彼女が作る美味しいご飯を食べられるだろうか。

 

諸行無常

 

万物は流転する。世界から寵愛を受けたグレース・ケリーは、4ドアセダン ローバー3500を運転しながら崖から墜落しモナコの病院で息絶えた。その場所は、津軽平野の荒涼とした病院と、何も変わらないような気さえする。

 

きっと世界はこうして……哀しみに沈んでいる間も変わっていく。彼女の肉も魂も変わっていく。いつしか時が経てば私も死んでいって、彼女の小さな記憶を宿すものもいなくなるのだろう。

 

その時々の結果に過ぎないものに囚われ、人は変わることを恐れている。気づいていないうちに皆は変わっているのに。

波のように流転していく命。

私は抗わず受け入れられるひとになりたい。