生きていく、と言うことが
時折とんでもなく長大で遥か遠い先までゆかなければならないようなきがして
とても不安になる時がある。
自分は24歳(まだ24歳)(もう24歳!)で、人生八十年と仮定するとあと56年もある。56年私は生きたことない。今の人生をもう一発やるとて48歳だ。だけどみんな、すぐに時は過ぎ去っておばさんになっちゃうよとか、歳なんてすぐ取るよとか言ってくる。勝手だ。それは、そうかもしれないけど…
今まですごく長かった。社会人になって少し早くなった感じもあるけど。
わたし、幼稚園の頃にタマゴテングダケ(こういう、きのこ、私好きでよく調べてたんです)の絵を精密に描いていじめられたことも
渡辺くんというすこし脳に障がいのある子と仲良くしていたことも
小学校に入ってメガネなのに頭が悪いことにコンプレックスを抱いて夜中泣きついてお母さんと筆算を猛勉強したことも
中学に入ってある女の子をいじめる男子の前に飛び出して怒号を飛ばしたことも
昨日まで仲の良かった女の子にカラオケに行こうと言って無視されたことも
文化祭の練習で熱中症になって吐いたことも
高校では勉強で負けたくなさすぎて毎日血判をつけていたことも
修学旅行では一人で海底2万マイルを読んでいたことも
何もかもよく覚えている 特に仔細な記憶が異様に脳裏に刻み込まれている。嫌なものも含め 嬉しいものも含め。これをもうあと三倍の年数やるなんて到底考えられない!気がおかしくなりそうだよ!
その間にやりたいことを成し遂げられるのかな…
それにそこまで生きられるのかと言ったらそう言うわけでもない 私は不安だ…
昨日まで高野悦子の本を読んでたからかはわからない。だけどほら、学生運動に身を費やして勉強を重ねた彼女が二十歳で命を落としているわけでしょう?
私は彼女よりも四年も生きているのに、なんにもわからないし、何もなし得ていない。彼女こそ確かに存在は亡くなってから大きく広まったけれど、肉体から文字がほとばしるようにうみだされた日記、その生命力は尋常じゃない。
何かなし得るために、わたしは人生できているんだろうか?毎日過ぎ去る日々の中で私は仕事と向き合えているんだろうか?もともとそんな問いかけさえナンセンスだと思っていた。焦れば焦るほど無駄だと思っていた。
でもお金をもらうようになって、この金額は私の些末な働きに見合っているんだろうかと何度も考えてしまう。 不思議と誇らしい気持ちよりも不安が勝る。
わたしはそして、何になればいいのか? 何が最もただしいのか?自分の正義を信じ続けても、たとえばそれが遥か彼方にある夢だとして…
わたしは短い いやとんでもなく、長いのかもしれないけれど、使い方のわからない時間が向こう岸まで並ぶこの世界の中。
わたしは上手くそれに近づけるのか?
何もできてない。
とにかく高校を卒業してからわたしは何もできていない気がする。なんでこんなに焦ってるのかも 不安なのかもよくわからない。
でも不安は確実にあるのだ。
こっちを見つめている脚の長いおじさんのようなかんじで、じいっとそこに立ってずっとわたしのことを見ている。
(別にあの、これは妄想とかそう言うのでもなんでもなく、昔から、擬人化で物事を表現してしまう癖があるだけです)
あ!知ってるぜこいつは冬の鬱だろ!と思って太刀打ちしようとしても全く違うんです
サークルの先輩のあの人が記事に特集されている不安、同期のあの子が上手くやっている不安。
例えそこに尋常ならざる多量の努力が存在したとしても。到達点があまりにも綺麗でわたしにはその綺麗な頂点しか見えない。醜い。私ってマジで醜い生き物なんだよな。
くやしいよ!わたしはなんだかもう まつ毛がひっくり返って黒目にずくりと刺さるくらいくやしい。応援したい?応援ってなに?もう足も動かんし。もう本当に辛い。抜け出したい!肉体、肉体もうまく動かない。ポンコツの機体に乗せられて宇宙空間を漂い続ける。目的地とは全然違う方向に。キリコキュービィもびっくりの冷凍睡眠…
この頭皮から爪先まで覆い立てる悔しさ劣等感不安感 私だってやりたいことやってやる、って、言いたい。あー、くやしい、いつも悔しいが今晩はもっと悔しいんだ。
だめだ、意気地なしで涙脆くて癇癪持ちで、温かいお湯の一つ飲めない困った女がここにいる。
なに一つできてないわけではないけど。
この道が間違ってたかなってちょっとでも自分に疑問に持ってしまったのが悔しい。
なんだかわからないこの言いようのない不安、これともっとずっと付き合うならもっと上手くやりたい。上手くやるってなんだよ。正拳突きしかしたことないわバカ。なにポジなんだよ!
あーわーぴーーー言いたいこと全部言った
戦争 本当に無理です なんとかしたい
おやすみ