どうということもない

どうということもないけど 忘れたくない

愛は相互交渉である

 

常日頃から考えていることの一つに、人間の愛について、がある。

 

愛していたらそれが愛だ、という人もいるかもしれないが、私の場合は少しちがう。というかその愛するという行為はなんなのかを紐解きたいのだ。

 

愛というのは、お互いに干渉し合い、内面に良い影響しかり悪い影響しかり与えあうことでやっと成立するものだと思う。内面へ干渉をせず外殻だけを見たり褒めたりして、そこに惚れ込んでしまうのは恋だ。外殻への恋はとても甘美で、いわゆる世間一般の恋愛作品はここから始まることが多いように思う。描きやすいし理解しやすく、見た目も絢爛になるからだ。結果として今日も毎日、ハリウッド・スターたちはシネマコンプレックスの中で恋愛沙汰を提供している。

しかし不思議なもので、人間恋ばかりしていると、本来の人間性を突き動かすギミックを持つはずの愛が疎かになる。取り繕ったものはいずれバラバラと剥がれ落ち、剥き出しのグロテスクな心が出てくる。どんなに美しくとも、そうたとえヴィヴィアン・リーのように華奢で可憐だとしても、内包する魂まで可憐とは限らないのだ。どこかしらでえげつない部分を誰だって抱えている。そういった内面を一度も目にすることのないまま、外側だけを見て評価をつけ、一緒にいることを決めたその矢先には、地獄が待っている。皮がめくれおちる。しかもまだ取り繕っていたいと思っているので、だんだんとめくれて落ちる。そうしていくうちに互いに違和感を感じていき、「〇〇 彼氏 違和感」のように検索履歴が増えていくのではなかろうか。知らんけど。

 

ちなみに、恋から始まることを揶揄しているのではない。というか大体の恋愛というのは、恋から始まると思う。この流れは至って自然だ。大切なのはこの地獄が、互いに結びつきを強固にするきっかけとできるかどうかだろう。ここで始まるのが衝突、詰まるところ相互交渉だ。〇〇と思ってたのに、本当は〇〇だったんだ!という衝撃は一度自分の中の相手観をリセットし、もう一度新しく設定を組み直すことだろう。良いところは勿論だが、悪いところもしっかりと情報に組み込まれる。意外とマザコン、掃除が苦手、八方美人…悪い情報が入ってきて、交渉をせず諦めてしまうことはあると思う。しかしそれは本当に愛とは言えないのではないか。愛はそこで互いを受け入れ、欠点をより良くするために交渉をしたり、また欠点を上回る美点を有するが故にもう少し一緒にいよう、となっていく。一緒にいるのが当たり前、とかいう熟年夫婦の凄まじい感覚は、そうやって互いにとっての相手が心の中で何度も何度もアップデートされていくことで初めて成立する、とても尊いことなのである。それが愛なんだわ。ちなみに、離れて初めて大切さに気づいた、だとか、ギャップ、だとか、何考えてるかわからなくて怖い、だとか色々な言い方やパターンがあるが、ちょっと暴力的だがそれも押し並べて相互交渉と言えるはずだ。

 

めちゃくちゃ彼氏彼女の体で話してしまったが、そうとも限らない。友人関係でも仕事関係でも同じだと思う。例えば最近仲良くしている後輩の子がいて、マックを昨日一緒に食べたんですが「あ、この子こんなにいいとこのお嬢さんという感じなのに、マック食べれるんだなあ」とか。「お、ダブルチーズバーガー!意外とガッツリ行きますなあ」とか。向こうもまた「3年目なのにマック行きたがるんだなあ」とか思っていたかもしれない。あ、いや、思ってないかもしれないけど一応…。友情もまたそうやって育まれていくように思う。

 

仕事においてもそうだ。この間呟いたような気がするが、同僚ですごく気が合う優しい人がいて、仲良くしている。一度その人のことをしっかり注意したことがあるのだが、それは本当に心が折れた。だけれども、注意せず終わってしまい、その人が余計に他の人に注意されてしまったら。もっと大きな事故を起こしてしまったらと、大きく何度も考え直し、やはりその人と話をすることにした。看過し許すことは自分の外側の印象を操作するためにいい手段かもしれないが、決して相手のためになることではない。相手のことを思い、きちんと交渉をしていき、会話から始まりぶつかりながらだんだん理解し内面化されていく。Twitterでも呟いていたように思うが、赦しは特に愛ではないと思う、というのはこういうことだ。

 

さて、ここまでしゃべってきた中で最も億劫なのは、恋愛とかいう単語が「恋」も「愛」も内包しちまっていることである。どっちも全く異なる概念で、起点も終点も違うのに、どうして人っていうのは、こうやってざっくりとした単語を作ってしまうのだろうか…。そんな人間たちと、そして共に歩んできた単語もまた愛しくて仕方ない。私は今、言葉というものと相互交渉をしているのだ。これは紛れもなく愛の一つといえよう。

休みの日に火災報知器の点検があって珍しく早起きしてしまい、なんか書くかと思って書いたけど、よくわからん文章になってしまった。

 

それではまた〜