どうということもない

どうということもないけど 忘れたくない

「勉強の甲子園」


この時期になると、予備校の厳しい先生から言われたとある言葉を思い出す。


「お前らはな、勉強というスポーツでトップを目指すんだ。つまり、全国の勉強の強豪たちと戦う。来年の2月、お前らは『勉強の甲子園』へ行くんだ!わかったな?!」



「…ハァ?」

思わず口から出たその返事は、予備校講師から鋭い睨みを頂くに値する失礼さであった。


大体、テレビやらメディアでよく見かける○○甲子園なんていうのは、本当スポーツの世界で勝負できない奴らが取ってつけた名前だろ、本物の甲子園馬鹿にしてんの‥?

言われた瞬間、ひねくれている私はそう考えた。


よくこのブログにも書いていると思うが、小さい頃から運動がからっきし苦手で、なにをしてもダメだった。唯一の良いところは、親の言いつけで渋々続けてきたの勉強が、周りより少しできるところだけだった。


この予備校講師のことはあまり信用していなかった。一枚ペラっと文構造を学ぶためのルールを渡されて、全て暗記した上で講義の最初に口頭試問される。この口頭試問に受からないと、なぜ受からなかったか、かなり厳しく問い詰められた。更には授業終わりに呼び出され、次回までにどうやって挽回するか抱負を言わされた。そうやって暗記した構文ルールを適用し、講義中は過去問をひたすら読解。ここで事前に解いてきた問題をやるので、答え合わせも同時に行う。


本当にこんなやり方で英語の学力が伸びるとは思えなかった。根性論を振りかざしているだけだ、他の勉強法をしたほうがいい、そんな気さえしていた。


入ってから最初の頃はからっきしダメで、構文暗記も苦手だった。教室を出た瞬間からポロポロと涙を流しながら予備校から帰ったり、雨の日は帰り道ずぶ濡れのまま、溝の口駅を出てぼーっとしていることもあった。自由が丘の駅を見るたびに憂鬱さが襲った。しかし、私自身が大学受験をするにあたって、予備校選びにはかなりこだわったし(安くて面倒見がいいのが主な基準)、自分から進んで厳しい先生を選んだ。全て自分で決めて親からお金も出してもらってる分、その環境から逃れるのが正解とはとても思えなかった。


予備校での根性論的なやり方に納得がいってなかったのもあり、とてもたくさん葛藤した。ただ、やらないで諦めるより徹底的にやって落ちる方が絶対にいいし、受験が終わった時も後悔しないで済むと、本能が伝えてきた。


なら、この予備校で全力を出しながら、他の勉強も全力ですればいいのか。という結論に至った。


そのため、長文読解を毎月一冊ずつやって、予備校で配られたのとは違う文法問題集を10周解いた。


そして私は高2から予備校に通いつづけながら、高3の受験日まで毎日英語を30分以上勉強するというささやかな目標を完遂した。少ないように思えるが、30分は1時間、1時間は2時間、2時間は4時間へ姿を変えていき、その積み重ねによる700日間であった。休まず勉強する中で、段々と、しかし着実に私の中でインテリジェントな自我が芽生えた。これは選民思想でもあった。

センター試験の点数は鰻登りして、センター模試の英語で190点を超えたときは笑いが止まらなかった。しかし、その時の全国順位は驚くほど低かったのである。

「こんなに勉強しても、まだ追いつけない奴が全国にうじゃうじゃいる」という事実が、面白くておかしくて、どうしようもなく悔しくて仕方なかった。


ここで、「確かに私は今まで何でも勝負できなかったけど、唯一得意な勉強で勝負できるようになった」ということに気づき、(気付いたというか思い込んだのかもしれないが)あの予備校講師の言うことはあながち間違ってないのかもしれないと考えた。


そう、これを読んでいる受験生の人がいるとしたならば、あなたは選ばれし人なのよ、と、そう伝えたい。決して自分から進んでではなかったとしても、もしくは自分から進んで選んだ道だったとしても。この日本という国で何%かのインテリジェントになれる可能性を秘めたあなた。もうほんの少しかもしれないけれど。すごくすごく頑張ったあなたへ。ほんの少しかもしれませんが、エールを送りたいです。


頑張ってね。受験生の皆さんへ


ではまた、いつかどこかで。


amane