どうということもない

どうということもないけど 忘れたくない

令和とおじいちゃんと私


こんばんは。部屋とワイシャツと私のリズムに乗せて、おじいちゃん大好き系JDのamaneです。もうあとほんの少しで、新元号令和ですね。お疲れ様でした平成。


本日、私は東京から新幹線で新青森まで来て、奥羽本線で川辺まで、そこから五能線に乗り鶴泊まで来ました。他の国のごとく強い方言が飛び交い私がいます今この村は、鶴田町は鶴泊。

鶴が泊まる、つるどまりで御座います。


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GWは沢山人がいますが普段はがらん


さて、幼少期は母の実家ということで頻繁に出向いていた青森ですが、最近はそうでもありませんでした。ここへ来たのは2年ぶり。

母が三姉妹なので歳の近いいとこたちといつも遊びに来てはちょっとした騒動を巻き起こしていました。あの頃は最高でしたね。


実は、2週間ほど前に突然なんの前触れもなくおじいちゃんが脳卒中で倒れ、母が青森へすっ飛んで行きました。生存確認は取れましたが、半身麻痺の症状。会うまでは本当に不安でした。先ほど私も会ってきましたが、だいぶ回復して、なんと1人で立てるようになっていました。


今日は平成も最後なのでなんとなく、私とおじいちゃんのエピソードをつらつら並べていこうと思います。

何よりも、うんと小さい頃から私は母からかなーり強めの教育、指導を受けており、(父はその分めっぽう甘い)。父方の祖父は私の小学1年生時に死別。父方の祖母はとても厳しい人で、頭が良くなければ意味が無いと言っている人で、食べ物を好き嫌いしようものならいつも大声で叱られました。

母方の祖母はずっとワーカホリックで、仕事してない時間の方が少なかったのであまり会えず、必然的に夏には必ず会えて、優しくて、とっても甘くて、構ってもらえるのが母方の祖父だったんです。生きているだけで認めて、褒めそやしてもらえるのが、父と祖父だけだったような、幼心にそんな気さえしていました。

ちなみにおじいちゃんの家はりんごジュースを生業としています。スチューベンのジュースも作ったりしてます、美味しい。


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亡くなった曾お祖父さんがもの好きな人で、豪奢な応接間は自慢なんです。

この絵画の女の人がいつ動くか、いとこ達で賭けた記憶があります。もちろん動きませんよ。

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おじいちゃんとはよく、軽トラックに乗せてもらって一緒にアイスクリームやキャンディーを買いに行ったり、新しい種類のできたてリンゴを食べさせてもらったり、何度も同じお話を読み聞かせてもらったり、(キューティーハニーセーラームーンを、津軽弁のおじいちゃんが読むという妙はかなりのものでした)

その当時5歳から小学校低学年まで、私はメガネかけた都会っ子で、漫画とニンテンドーDSだけが友達みたいな子供だったので、青森で感じるもの何もかもが新鮮でした。その中で格段に優しくしてくれるおじいちゃんの存在は、光り輝いていました。無償の愛を与えてくれる聖なるもの、そのくらいに崇高だと思っていたんです。


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母たち三姉妹で集めた漫画たち。後にもびっしり詰まっています。妖精王とかいいですよ


しかし、いつまでもそういう訳にも行かず、私が高校になって受験勉強をしだした頃から、すっかり行かなくなりました。大学の2年の時に思い出したようにフラーっと、寺山修司記念館に行くついでに行きましたが、それ以降はめっきり行かなくなってしまいました。

久々に会えて涙を流すおじいちゃんの姿が、今でも鮮明に思い出せます。

まあさっきも会ってきたし、そこで大号泣されたんですけどね。可愛いですね私のおじいちゃん。最高ですね。


はてさて、何はともあれ、新しい元号のお祝いをおじいちゃんと明日もできることに、全ての感謝を込めまして、これにて平成はおやすみなさい。お疲れ様でした、ありがとう。