どうということもない

どうということもないけど 忘れたくない

ミスコンに落ちました!


言い尽くせない疲労感と敗北感で満たされた今日は、浅草線の赤いシートが、深く濁って見える。胸が詰まり頭も痛い。こんなに具合が悪いのは久しぶりだ。東京の空気は冷え、皮膚へと鋭く刺さる。

単刀直入に言うと、私は落ちたのだ。

メールにはハッキリと示されていた。

「誠に残念ではございますが、ご希望に添えない形となりました。」


慶應で行われるミスコンテストに応募したのは初めてだった。去年はミスiDに応募して、書類で落ちた。慶應のミスコンに応募した理由は、4年は大学最後の年なので、何か自分がこの大学で生きた爪痕を遺さねば、と感じたからでした。

嘘です、1年からずっと出たかったです。出すのはタダなので、どうか許して下さい。


4月の下旬、応募してみたんだよね、とそっと呟くと、母は目を輝かせた。そこからゴールデンウィーク、青森へ向かうと、親族一同に「あまねはミスコンに応募したのだ」母から言いふらされた。相対するは愛想笑いや、こわばった表情たちだった。


ゴールデンウィーク中に得たものは、母と祖母は私を、「慶應の4年生で有名企業を受けている、作品」として祀り上げているという事実だった。鶴田町の様々な人に会う度に、母も祖母も「慶應」「ミスコン」の文字を絶やさなかった。親戚の引きつった表情を、私は一生忘れないだろう。会話には尾ひれをつけにつけまくられ、東京に帰る頃にはすっかり精神が疲弊していた。悔しかった。自分は一体なんなのだろうと、自問自答ばかりしていた。


しかし田舎から東京へ戻り、本日冒頭のメールを受け取ってしまったのだった。

やっぱうちブスだもんなぁとか、性格曲がってるし気持ち悪いもんなぁとか、色々と自分の落ち度を探しこんでは、今では更に落ち込むことを繰り返している。あまりにも不毛だ。

芸能関係や元々有名だった子が通っていたみたいだけれど、そんなことはどうでもいいのだ。私が落ちているという厳然たる事実がそこにあるだけで、私の世界は何も変わらなかった。


こうなることを予測していたからこそ、更に彼女達の落胆の表情を見ることへの恐怖が増長する。母は私が帰宅すると、ミスコンに落ちたなら、第一志望の○○に通ればいいのよ。と、言ってくるはずだ。それでいいのだろうか?今にも逃げ出したい。何もかも捨てて、由比ヶ浜で泣きたい。バイトが終わり、家という開放感のある地獄へ向かう。


列車は、あと二つで最寄り駅だ。