どうということもない

どうということもないけど 忘れたくない

愛されキャラに捧ぐ


どれだけの人を愛することができるか。

どれだけの人から愛されるのか。


生きている間に、何人の人と知り合えるのか。そんなのはわからない。けれども、この時期になると必然的にそんなことばかり考えてしまう。


私は元々、人付き合い、というのが得意ではない。おしゃべりも自分のことばかりになってしまうし、周りにはそんな私と付き合ってくれる心優しい人たちだけが残っている。またそんな中でも、とある勘違いやすれ違いの末に仲違いとなり、もう連絡が取れなくなってしまった子さえいる。瞳の血管が切れるほどに涙をたくさん流したとて、戻ることのなかった縁だ。かと思えば、十年と少し経つと向こうからぽん、と連絡がきたりもする。まあとにかく、人付き合いっていうのは昔から苦手だ。色んな人と知り合うのは好きだし、世の中にはこう言う人もいるんだと知るのも好きだ。

でも別に、それで長続きする縁なんてほとんどない。後輩も、元々仲良くしていた子でも疎遠になっていって、年に一回会えばいい方だという具合になってきたのだ。


そんな中、まあこいつは、仲良い方かなと言う後輩が一人いた。飲みたいなあと思うとそいつを呼んだし、律儀にも何人か知り合いを連れてきてくれて、大量に飲み明かして記憶もなくしてみたりとか。底なしにいいやつで、優しく、そして何より愛されキャラである。


愛されキャラ、という人は本当にすごい。私は絶対になれない部類だ。屁理屈だし、めんどくさがり屋だし、じめっとした視線で人を見てしまう節がある。そのくせプライドも高く人からバカにされるのが心持ならない時がある。初手から敷居を低くいられるのが苦手で仕方ない。


でも愛されキャラはひたすら初手から敷居が低い。なんだかわからないけど、ずっとニコニコしている。この場にいられるのがとっても嬉しい、みたいに。歯を出して笑いながら、酒を頼み、掃除も片付けもして、嫌な顔ひとつせず呼べばいつだって駆けつける。もちろんそんな良いところばかりでもなく、飲みすぎてとんでもない失敗をしたりとか、人間としての隙もばっちりある。馬鹿にする怒るけれど、それも本気のものでなく、どこかコミュニュケーションの一環という感じがするかわいい雰囲気のものだ。


人付き合いがほんとうにうまい。嫌いだと言う人のことを見たことがない。酒が好きな人間ならころっとやられてしまうんだろう。


そんなこんなで私よりも遥かに適応能力の高い後輩は、紹介した友達からさらに紹介され、その友達からさらに紹介され、そして延々と今も人脈を増やし続けている。わらしべ長者の物語みたいになっていた。元々私がいたコミュニティよりもずっと遠いところに行ってしまい、さらにその先もマスターしようと言わんばかりの。すんごいなあ。


羨ましいかと言われれば勿論羨ましいんだけれど、もうそれは愛されキャラのひとの既得権益みたいなところがある。すんごい。このパワーが人生という長大なモノポリーにおいていっちばんつよい気がします。


まあ、とやかく書いてきたけれど、君のそのとにかく愛されることに秀でた力は今後も大きな財産としていきるとおもうので、どうぞ一つこの縁を忘れずに、超有名人に知り合ったら一回でも紹介してみて欲しいもんである。


卒業おめでとう。また飲もうや。