どうということもない

どうということもないけど 忘れたくない

君が過ごした木屑まみれの段ボール


「トラ子っでらんだ(トラ子っていうんだ)」

「うわっ、猫だ」


おじいちゃんの見事なズーズー弁が紹介してくれた、段ボールの中の猫。それがトラ子。

猫、犬、うさぎ、いわゆるペットにするような動物は得意ではなかった。特に猫。昔友達の家に遊びに行った時、ご機嫌斜めな猫ちゃんに飛び掛かられたことがあったからだ。しかしそんな心配はどこへやら。トラ子はとんでもなく人懐こく、ひと目見た瞬間すすすーっと寄り付いてきて、手のひらの匂いがわかるのか、私のまだ子供っぽい爪の先を見つけるとぺろぺろと舐めはじめた。最初こそ舐められることに抵抗があったけれど、親愛を込めたような、ちょっと目を細めた表情で何度も何度も舐められているうち、どこか心の奥が満たされたような気持ちになった。


彼女が北津軽郡雄大な土地にやってきたのは2011年のことだった。おおきな地震のあと、少し心細そうだった祖父が、頬を桜色に染めて猫に餌をやっているのをみてずいぶん安心したことを覚えている。この猫は、もともとどこかの飼い猫かなにかだったようだけれど、震災のごたごたで彷徨った果てに北津軽郡鶴田町の鄙びた集落に行き着いたようだ。萎れたボロボロの彼女をおじいちゃんが見つけ出した。そして大きなりんごの倉庫の中にある煤けた事務所で、ストーブをつけながら来る日も来る日も面倒を見たのだった。

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2014年の彼女 わかいねえ


トラ子はほぼ放し飼いのような状態で、おじいちゃんの家から外に広がった庭園、だだっ広いアスファルトの道路、そこをまっすぐ行った先にあるリンゴ畑や猫の額ほどの神社に遊びに行っていた。ここ二年は新しくできた公民館のアイドルのような存在になり、会ったこともない家の子や、知らないおじいちゃんおばあちゃんからもたくさん可愛がられていた。小学校の体操着を着た何人かのいがぐり頭の子たちが「トラ〜!」と言って遊んで回るものだから、あんなにつまらなそうだった寂しがり屋のトラ子のくせに、ずいぶんとめんどくさがりながら相手をしていたっけ。


だけどトラ子はどんなに遊んでも、必ず、りんごの倉庫の中へと帰ってきた。遊び疲れて少し眠たそうに、とぼとぼと鉄扉をくぐると、もう十年近くつかっていただろう段ボールの寝床にぼすん、と横たわるのだ。木屑まみれで汚くて、だけどおじいちゃんの匂いがしっかりと染みついた事務所が彼女は何より大好きだったんだと思う。たまに、お昼こっそり従姉妹と寝ているところを覗き見しながら微笑みあったものだ。この場所は私たちの秘密基地でもある。眠そうに帳簿をつけるおじいちゃんが、ヤクルトをたくさんくれるし、チョークでどこに何を書いても怒られないし、すやすやと寝息を立てる猫もいた。ドアを開けると高度経済成長の頃から存在したりんごの倉庫。うずたかく積もった埃が、猫の動くたびバアッと舞って、陽光の射した場所だけがきらきら煌めく。

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パレットの上 あ〜!お客様、こまります、、


彼女が私に教えてくれたのは、友好的で人好きする猫がいる、というだけではなく、猫が存在するだけで空間が意味を持つということだ。ボトルクレート(牛乳瓶をいれておくようなやつだ)が積み上がっているのも彼女にとっては素晴らしいおもちゃになる。4メートルくらいある天井に向かって階段のように積み上がったそれを、行ったり来たり、時には降りられなくなってしまって、従業員さんがフォークリフトで助けたりなんかもしてくれたらしい。雄大な自然とゆっくり流れる時間、昭和の全盛につくられた豪奢な一軒家、私の大好きな全てが詰まった場所に、さらに好きな猫が加わり、いっそう毎年の帰省が楽しみになった。


『ギニャーーッ!!』

『バチチチチチ!!』


夜中、少し涼しいくらいで東京と変わらず寝苦しい夏のこと。鳴き叫ぶ猫の声が聞こえたものだから、不安になって電気をつけて外に出ると、ずいぶん誇らしげな顔でだらんとしたセミを咥える彼女の姿があった。息耐えきれず少し動いているセミが気持ち悪い。だけど、これやるよ、と言わんばかりにドヤ顔の彼女を前に、えーなんかやだなと思いつつも受け取ることに成功した。後にも先にも一度もない、私が大嫌いなセミを触った瞬間だった。そのあと、ネットで検索して猫が好意を持つ人に贈り物をすることがあると知れば、私の気分はうなぎのぼり。ちゅーるをドゥルドゥルあげてしまった。自然の仲間たちも、彼女にとっては絶好のおもちゃだったんだろう。


猫が来てから少し年が経って、おばあちゃんが東京から青森に戻った。彼女は少しトラ子が苦手だったようで、家に入ろうとしてくるたびに「ダメ!」と叫んではぴしゃりとドアを閉めてしまっていた。ただここ数年は、おばあちゃんも歳をとったのだろうか。すっかり心を許して「トラ」「トラはどこ?」と何度も口に出していた。

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トラ子の前に手を差し出せば餌になるのだ


今整理のため倉庫は賃借にだされて、大好きだったトラ子の寝床、もとい、おじいちゃんの事務所もなくなってしまった。

「爺ッちゃん、トラ子がいないよ」

「倉庫の方サ、いるっきゃぁ…」


去年、何となく行かなければいけないような気に駆られ、なんとかして繁忙期に休みを取って青森に向かった。そうすると、倉庫を恋しがって開かなくなった鉄扉の前でジイっと、待っているトラ子の姿があった。もう痩せて、あまり動かず、ただ扉が開くその瞬間を耐えるように待っていた。おじいちゃんも寝たきりになって久しく、大きな声も出せなくなってしまい、にゃあ、にゃあと鳴く彼女に応えられず、静かに涙を流していたっけ。


東京は寒い。けれども、青森の方がもっと寒い。雪の積もる厳しい冬を乗り越えるため、おばあちゃんとおじいちゃんはトラ子をたずさえて東京に来た。彼女が生まれて初めて揺られる五能線、にゃあにゃあ、不安そうに何度も鳴いて、なんとか命を繋ぎ止めて、東京にある叔母さんのもつ一軒家にやってきたのだ。その頃から目が見えづらくなっていて、あまり鳴かなくなってしまった。


そろそろこのブログを書いている理由をつたえなければならない。文字にすることも憚られてしまう。でも、言わなければならない。


トラ子が今日午前九時、東京の家でひっそりと息を引き取った。東京に来たトラ子はひどく居心地が悪そうで、知らない場所とにおい、今まで飲んだことのない質の水に戸惑っていたみたいだった。普段しない場所におしっこをしてしまったり、寝るときに玄関先に降りてきてしまったり。目を閉じて臨終をむかえたその横顔はひどくやつれて、痩せていた。何かと戦ったみたいに。


恋しかったんじゃあないかな、と思う。木屑まみれの煤けた段ボール、埃っぽい倉庫の匂い、おじいちゃんが何十年も座っていたギシギシいう椅子に、効きすぎなくらいの石油ストーブ。青森のおだかやなみどりたっぷりの空気から、きつくはりつめた東京の空気にやって来て、どんなに心細かったことだろうか。寝たきりのおじいちゃんに構ってもらえなくなって、どれだけお互いに、寂しかったことだろうか。


今なら少し高くて人懐こい、猫撫で声とはまさにそのこと、というようなあの声が、天高く響くようなそんな気がする。長い舌で必死におじいちゃんの手を舐めながら、お腹をでんと出して、撫でろと言わんばかりの表情。君はいつだって、私たちの大切な記憶に住んでいる。木屑まみれの段ボールの中、ゆっくり寝息を立てているトラ子。起きたら倉庫で遊ぼうね。カリカリを食べてるその横で、ヤクルトを飲んで待ってるから。


あまねより 本当に大好き


あいをこめて