どうということもない

どうということもないけど 忘れたくない

アナウンサーになりたかった話


私はこの黒い靴とカバン、スーツにどんな意味が込められているのか、全くわからずに就職活動をしている。

6/2から、私は5日連続で面接を受けることになっている。

人に会うのは好きだ。面接はちょっと緊張するけど、準備をしっかりして、リラックスして受ければ大丈夫。


『私は将来、イノベーションを通じて、人々と社会をエンパワーメントしたいです。』とハキハキ喋る、瞳は明るく、顔色良く・・・!


しかし、この言葉にどんな意味が込められているのかは、私は全く理解出来ていない。イノベーション?なんだよそれ。なにエンパワーメントって。日本語喋れや。


さて、本題です

『就活生は人間やめないと出来ないので、3年生は人間やめといた方がいいよ』


話題になった下記のツイートを見て、上記の答えに行き着いた。以下引用


【面接中にこんな質問をされた。

「ずっとバレエを続けられたそうですが、プ

口になろうとは思わなかったのですか」

目の前が真っ暗になった。

面接官が何を言っているのかが分からなくな

った。必死に笑顔を崩さずに、なんか答え

た。なんて答えたかは覚えてない、 けどなん

か答えた。だって面接は進んだから。

だけど面接が終わった後、 泣きそうになっ

た。悔しかった。腹が立った。

私だって、なれるならバレリーナになりたか

った。だけど、それは出来なかった。 だから

私はリクルートスーツを着て就職活動をして

る。努力不足だ、と言いたいなら言えばいい。結局はそうなんだから。 私が血を吐いて練習し

たって、その隣にいる子はトゥシューズの中を血だらけにして練習してるんだから。 私よ

り何十倍も努力してるプリマがいる世界なの

だ。そして、体型·容姿·才能の全てにおい

て私はそれに見合うものを全て持ち合わせて

いなかった。プロは努力が絶対に必要だけ

ど、才能も絶対に必要な世界。夢を叶えられ

るのはひと握りどころかひとつまみもいない

世界。悲しいかな、 やってる途中に気づいて

しまったんだよ。私はプロになれないって。

バレエだけじゃない。野球でも、

バスケでも、陸上でも、書道でも、料理でも、ピアノもなんでもそうだ。でも。

長く続けているのは、好きだから。どうしよ

うもなく好きだから。そして、なれるものな

らプロになりたいと思っている人は絶対に少

なくない。私だって今からなれるなら、プロ

になりたい。それが出来ないから、 出来なか

ったから、就活をしている。】


引用終わり


友達が、就活ならそんなん聞かれんの当たり前やんけ、なんで準備してかないんだ、そんなんだから落ちるんだ!と言っていた。

彼は思考回路がすっかり就活生で、そういう考え方になる。それは良いことかもしれない。とっても合理的だし、打算的だ。でも、傷ついたその子の心は、どうなるの・・・?そんな簡単に斬り捨てていいの・・・?感受性と想像力を故意に失ってまで、就活をしていることにあなたは自覚はあるの・・・?


バレリーナになりたかった、サッカー選手になりたかった。仮面ライダープリキュア?夢って沢山あっていい。見るだけはいつでも無料、最高のアミューズメントだ。


私の場合は・・・、アナウンサーに、なりたかった。中学も高校も6年間ずーっと、放送系の部活みたいなものをやっていて、アナウンスの都度、声を褒められていた。昔は声優になりたかったけど、親に大反対された。同じ声を使う仕事なら、アナウンサーの方がなんか、カッコイイかも、よっしゃ!早稲田に入ったら演劇、慶應に入ったらアナウンスをやろう、アナウンサーになろう!と、勝手に決め込んでいました。


しかし、慶應放研に入ってから、このサークルはアナウンサーを目指すサークルではない、とハッキリ思い知りました。もちろんとても面白いサークルで、高校の頃放送部だった子も沢山いる。その子達は口々に、「アナウンサーにはならない、もっと上手くて、綺麗な子がなるものだ」と言うのだ。私よりずっと、読みも、鼻濁音も、声も綺麗で、そんな子達が、こんなに沢山いて、全員アナウンサーを受けないという事実に、震えが止まらなかった。


さらに、親とは入学前に、アナウンススクールへ行く費用を無心してもらう約束だったけれど、そんなことは一切起こらなかった。私もバイト代はすっかり遊びやサークルに溶かし尽くしてしまっていて、アナウンサーへ向けた努力は何も出来なかった。

そんなうちに、アナウンサーのインターン試験が立て続けに始まり、何の因果かわからないけれど、完全な運で、第1志望の面接に行き着いた。

面接会場には、麗しい顔、スタイルの人間ばかりで、なるほど自分はまるでみにくいアヒルの子だと腐心した。バービーの隣に並んだポポちゃんだなこれじゃ。早く帰りたい・・・そう思っていた。

面接になって、2問目まではサクサク答えた、と記憶している。しかし3問目、

「アナウンサーになって、伝えたいことは何?」


言えない・・・!なぜ言えない・・・?何だこの言葉の詰まりは!もっとあるだろ、長くわたる沈黙は、異様な空間を作りだし、焦った私はなんと、現場のざわめきを明確に伝えたい、とか、記者じゃんそれみたいなことを嘯き、何度もそれを繰り返し・・・。

結果は惨敗。

練習不足だった、と言えばそれまで。もちろん、準備は足りなさすぎた。間違いなく私は、「目立ちたくて自分が可愛いと思っていて、とりあえず受けてみた、ただの冷やかしの人」だった。

とりあえず、ほかの局の試験に向けてアナウンススクールに行くことにした。

とはいえ、テレビ局の主催するアナウンススクールは、どこも莫大な費用がかかる。

お金が無い私は、月謝1万円の、とあるアナウンススクールに通い始めたのだった。学費は、親と折半した。

薬師丸ひろ子に似てる先生で、とてもハッキリものを言う人だった。

「何かで優勝した経験も、わかりやすい資格もないんじゃあね・・・、自己PRも、その調子だとほかの企業も受からないよ」

なんだか私はその人が、とてもとても、えげつないくらいに苦手でした。ここだけの話、夢で刺していたこともあります。

今思うと、アクセントが違うとその場で眉を寄せ、威圧感をもって訂正する彼女に、小さい頃の母を思い出したのだろう。中学受験の頃なんて、1つ間違うと10怒られ、オマケで引っぱたかれるのは、いつもの事だった。

話を戻すと、初めは好きだった原稿読みも、どんどん嫌いになって、アナウンスを、ハッキリと嫌いになった。やっぱり、そんなにアナウンサーになりたくなかったのかもしれない。私は、作る側になりたい、あわよくば、作ってそれを伝えるところまで、全て自分でやりたい、と、だんだんと分かるようになった。


しかし当時の私は、なかなかそれを受け入れられなかった。やけを起こして、アナウンススクールに持っていくはずだった月謝1万円を、五反田の安居酒屋での飲み代に溶かしたりなんて、していた。記憶をなくし財布もなくし、浅草線をさまよう自分の姿の惨めさに、自嘲しながら、涙を流した。

アナウンサーは、キー局とNHKしか視野に入れていなかったので、もう受ける気はありません。全くテレビ局とは趣の違う企業を受けてます。


さて、こんな下らない、どうしようもない挫折経験。夢を諦めた、なんて綺麗な言葉にはならない。目指すところすら出来てないかもしれない。だけど、私は「なんでアナウンサーを諦めた?」という質問をされる度に、このことを逐一思い出しているのだ。

人の感受性を無視して、就活生としての思考回路に切り替えてしまえば、自分だって傷つかずに済む。だけどそれって、人間としての美しさを捨ててしまってることにはならないだろうか。人を辞めてしまった彼等に、そんな言葉なんて響かないのだ。まあ私も、一介の就活生なので、もう人間じゃ、ないんだけどね。


カッコ悪い挫折を、カッコよく言って、それを御社でどう生かせるか、なんて。

最高にくだらないことだと、私は思う。


私はまた明日も、くだらない話をしに行く。


ではまた。


amane