どうということもない

どうということもないけど 忘れたくない

イタい私とミスiD


「イタいことすんのもうやめて」

と、色々な人に言われてきました。

そうです。私はイタい人間だと思います。

これは開き直りでもあり、自分を認めることでもあり。しかし私はやっと、自分の苦しみにケリを付けられたなと思っているんです。


ミスiDは、私にそのきっかけをくれた。

このオーディションに応募するまで、私は中途半端にイタい女でした。自分のやりたいことを前面に押し出したくて堪らなくて、今にも爆発しそうだった。それなのにありもしない周りのしがらみを勝手に自分で作り出して、「こんな理由でやりたいことがやりたくても、できないんだよねぇ。」なんて自分語りをしては酔って、そんな自分が気持ち悪くて、自己嫌悪して。何も生み出さなかった。何も生み出さない中途半端でイタい女というのは、最悪である。だったら、心ゆくまでイタいに徹した方がいい!大学4年なんてそれが出来る最後の年かもしれない、やり切らなければ後悔する。とにかく、できることはなんでもやろうと思った。

そこで意を決して応募したミス慶應はダブルコンボ落ち。(しかも片方は「面接します」と言われたのに、やっぱこっちで勝手にファイナリスト決めたから面接しないわと運営に言われるオマケ付き!)

ついでにバイトと就活にはとことん追い詰められ、日記にはずっとボールペンでギャリギャリと大きな丸を重ねて書いていた。サークルも行けない、ずっと好きな人には振られた。(というか気づいたら彼女が出来ていたのだ、何?)

ここで、早くも際限のないストレスでメンタルが崩れ気味になる。帯電したこのストレスを痛々しく過激に発散させる場所がないと、表現する場所がないと、壊れてしまうかもしれなかった。この崩れた私を受け入れる凄まじく大きな壺が欲しい、こんなにもイタい、この私を受け入れろ!


インターネットの波間から、とあるホームページに辿り着き、文言を読んだ瞬間、ビリビリと背筋に電流が走った。それがミスiDだった。


指を動かして、1954文字の文を書いた。


2019年の5月。私は、意を決して(意を決するpart2) 奇っ怪な文章とアナウンサー就活で使ったキメッキメの写真を詰め合わせ、ミスiD2020に応募した。


結果は6/11にきた。3500人もの中から選び出されたことに驚きながらも、実は心の中では「だよな」と思っていた。今読んでも、私のエントリー文章は、一触即発、切り込みを入れたらブシャッと何か得体の知れない液体が噴き出しそうな、謎の不穏さや、不満、苦しさが前面に押し出されている。それに反して写真は軽やかなスマイルで、とても幸せそうなのだ。そのギャップに気が惹かれるような構成になっている。こういったところは実に天才的で、自分の才覚を感じる所だ。(今日は出血大サービスで、自分を褒めちゃいますよ〜)


セミファイナリストのカメラテストは初日だった。何に出会うか恐かった。何に出会うか恐かったのですが、そこにいたのはでかいチョボモンだったので最高でした。胃下舌は隣の席で、つげ義春の話したよねえ、懐かしいな。ユウちゃんは審査員かと思った。ケーキwithユウちゃん、かわいかったな。あーあと、カメラテスト中に髪の毛を剃り始めた子がいて、そんなことで審査員に覚えてもらうなんて、なんかチゲェなと思った。私はカメラテストでは冗長な朗読をして、なんだこいつみたいな目で見られたし、長すぎて動画でもそのシーンは巻かれてる。私のカメラテストで重要なのは確実に質疑応答だった。審査員の方に、私がつい先日、椎木里佳さんとまぁまぁ炎上した件について、触れていただけたからだ。私は苦手な人のことが本当に苦手なので、絶対に彼女を塾生代表にしたくない一心で、彼女の一年の時の授業態度を告発してしまった。

(後から聞いた話ですが、椎木さん、三年からは超いい子になったみたいですね。いいことですね!)それについて面白おかしくお話をすることができて、残れたのかなと思いました。


そこからファイナリスト選出まではまぁまぁ長い時間があって、夏休みは丸々審査期間でしたね。放研の合宿あったりゼミの合宿あったりバイトしたりして、しかもなんか丸々2ヶ月くらい熱止まんなくてゼェゼェ言いながら、、、自撮りをしてました。自撮りを上げる女は嫌いだ!みたいなことを言って生きてきたので、自分は審査期間に自撮りをあげたら負けだと思ってたのですが、どうせ痛いんだ何したってかわらんくそ!と思いほぼ毎日上げようと努力しました。今では自撮りなんてもう友達みたいな存在です。なぜなら自撮りもまた特別な存在だからです。(ここでヴェルタースオリジナルを掲げる)


セミファイナリストの部屋」というイベントでは初めてひろしにあって、本作り手伝ってもらったり、えりかこと写真撮ったり、りりこさんと配属の話したり、、。「あつまって話す阿佐ヶ谷」は最高だったなぁ。きらりんとΔゆらと胃下舌とカオちゃん、ひろし、ゆめちゃん、わたし、、優しくてゆるくて楽しい空間。訳のわからない場所にあるのに、阿佐ヶ谷ならではの面白さが詰まった空間。


「多様性なんてこんなもんだ」もたのしかったなぁ。洋梨、ちゃんと振り覚えきれてなくてごめんな。でも、うあはげ踊りたかったから超嬉しかった、ありがとう!もえにゃんさんとヤバいV系の話したの楽しかったなぁ。えりかちゃんは賢くて謙虚でなぁ、、細くて細くて、、卒業式で抱きしめた感覚、忘れられぬ。はなみちゃんもモモちゃんと、もっと話したかったな!(モモちゃんはいつも渋谷で平面の姿と会ってるけど)

あっ今気づいた、なんか趣旨ずれてる!イベントも沢山出していただき。大変だったけど楽しかったです。


最終面接は後夜祭でも言った通りド滑りしたからもう話さないし!気が向いたら話す!!!


卒業式では「今日もあしたも明後日も私はこんな自分が好き」と言いましたが、それも私が今までイタいと思って言ってこなかった言葉です。なんか青春臭くてキモいけど。痛くても肯定しようと踏ん切りをつけるための、最後の一歩でした。最終面接では一ます戻ってしまったので。後夜祭はさらに踏み出したもう一歩。

「ダークサイドポムポムプリン」決まってたでしょ?


「地下アイドルみたい」って敬遠してた言葉でしたが、今となっては私からすると誉め言葉です。皆んなのアイドルへの思いとか、実際地下アイドルやってる人と関わることで、認識がどんどん変わっていった。アイドル目指すなんてイタいことすんのやめてと言う人がいたが、アイドル目指すのはイタくも何ともないよなと思います。正統じゃん。真っ直ぐで綺麗な感情だ。アイドルも最高。だけどもっともーっとトゲのあることがしたい。それってなんだろう。まだまだ人生模索中、就職したって色々やる。諦めないぞ、私の人生。22の若さで女、まあまあの顔の人間、だからこそ、何かしないと気が済まない。

だって汚いおじさんが急に私になったら結構嬉しいんじゃないかなと思うし。これは若さと未経験ゆえの傲慢だと思うけど、全然今はこれが真だと思ってる。


改めて思うと、2019年、私にとって本当に苦しみの年でした。もう一度味わいたい快哉と、もう二度と味わいたくない辛苦とを、沢山経験しました。だけどこの経験を経て、私は自分のイタさに箔が付いたと思ってる。とことん極めてやる。

いくらでも嘲笑ってほしい。気持ち悪い、なにこいつ、まだこんなことしてんの?22にもなって恥ずかしくないの?って、ずっと思っててください。ただ、寂しくてたまらないので、忘れないでください。  

「そんな人もいたね」って。小さく口を歪めて、それだけでいいので。


何年もして随分と老けた私は、この文章を見たらせせら笑うだろうか、痛いやつ苦しいやつ、寒いやつと言うのだろうか?

頼むからそれだけはやめてね。


ではまた。

amane