どうということもない

どうということもないけど 忘れたくない

永遠のヒロインとヒーロー達へ


amaneです。最近某イベントにいます。


このイベントに来る女児や男児たちを見て、痛烈に感じたのは、身を焦がされるほどのノスタルジーでした。


ともすれば涙さえ出てきそうなノスタルジー


それは、「私はヒロイン・ヒーローである」という心です。


「ありがとーございましたっ」とゆっくり言ってハイタッチして人混みへ帰る彼らはそれぞれが、間違いなくヒーローで、ヒロインで、リュウソウジャーで、プリキュアで、唯一無二の存在。ここに来た子達は全員が全員、間違いなく主人公なのだ。


私もそんな時期があった。特捜戦隊デカレンジャーのデカイエローになりたかったのである。礼紋茉莉花。すらっとしていて美人系。ピンクとは違いしっかり闘うタイプで、オヤジギャグと昭和が好きな、ちょっと変わったサイコメトラー木下あゆ美さん、ホンットに美しいですね。少しは近づけたかな・・・とか思ってしまう。え、amaneは彼女(キャラを寄せてる?そりゃそうですよ(開き直り)!決まってるじゃないですか、だって今考えると、ミスiDのカメラテストに警察のコスしてったのは確実に彼女の影響ですよ。当時はなんとなくの気持ちだったけど。


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かわよ・・・ほんと綺麗だな・・・


てかデカレンジャー面白いんです。宇宙だし警察だし、私が好きな要素しかない。しかも結構シリアスで、罪人をさばくシーンがあるんですよ・・・みんな見てね?!

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そう!ツインカムエンジェル!デカイエローとデカピンクのコンビ名です。2人でED歌ってます。これだ、これが理想の友情の形なんですよね・・・小梅と茉莉花、この凸凹感。美しい・・・。誰かわかる人一緒に歌おう・・・。


未だに大好きなキャラクターです。当時大忙しだった広告マンのお父さんに、初めて連れられてきた後楽園ゆうえんちで、「デカレンジャーのショーを見にスカイシアターに行きたい」と意思表示をして、お父さんに不思議がられたことを、今でもよく覚えています。寒い時期で、やたら火の粉が眩しかったっけな。


その後は、オレンジのバトン(確実にこれはコメットさんをまだ好きだった時期だと思われる)と一緒に、デカレンジャーのおもちゃを買ってもらったんです。確かspライセンスとハイブリッドマグナムが一緒になったセットで、東京ドーム限定販売。小学校高学年でおもちゃ捨てるってなった時1番渋ったのは、カードコミューンよりもこっちだったっけなあ。でも、1番ほしかったデカイエローとデカピンクの銃(ディースティック)は、もうこんなにおもちゃ買ってもらったしなと思い、欲しいってなかなか言い出せず。結局、買ってもらえなかった。これが今でも覚えてるほど悲しくて、悲しくて、帰りの顔があまりにも悲しそうだった私を、お父さんが心配してた。


この時、うっすら気づいたのは、「私はデカイエローではないかもしれない」ということでした。


いや当たり前なんですけど、そりゃそうだと思うでしょうけど、すごく重大なことで。これは。

ずっとずっと、自分はヒロインだと思って、礼紋茉莉花になれるかも!てかもしかしたら礼紋茉莉花じゃね私?と思って生きてたけど、もしかしてそれは強大な思い込みで、だって、「買い与えてもらわないと持てない」ものを、「物語が始まった時から」持ってるんです、彼女は。そんなのっておかしい。帰りの後部座席でわたしは1人、オレンジのバトンを見つめながら、私は、私は、デカイエロー、そして、礼紋茉莉花では無いのだとわかってしまったのである。


しかし、この絶望感は、後にすぐ自分を主人公とした物語を1人で妄想し想像し続けることで解消されることとなる。


小学一年生の私は何となくこれらのことを受け入れていたが、学年が上がるにつれ、だんだん考え方が変容してくる。


私はデカイエローではない。だけど、間違いなくヒロインになれるし、さらにはこの物語の主人公だ。そしてそれは誰だって同じことなのである。だから、画面の向こうのあなたも、そこを通り過ぎた人も、全宇宙の誰も彼もが主人公であり、ヒーローにもヒロインにもなれる。そしてそれは、基本的に、何者にも邪魔されてはならない。こういった認識は、確実に今の私の価値観に大きな大きな影響を与えている。


さて、もうそろそろ寝なくては。


明日も私は、沢山のヒーローに会えるのだから。


ではまた。


amane