どうということもない

どうということもないけど 忘れたくない

ぼんやりとした(いやに明確な)不安

生きていく、と言うことが

時折とんでもなく長大で遥か遠い先までゆかなければならないようなきがして


とても不安になる時がある。

自分は24歳(まだ24歳)(もう24歳!)で、人生八十年と仮定するとあと56年もある。56年私は生きたことない。今の人生をもう一発やるとて48歳だ。だけどみんな、すぐに時は過ぎ去っておばさんになっちゃうよとか、歳なんてすぐ取るよとか言ってくる。勝手だ。それは、そうかもしれないけど…


今まですごく長かった。社会人になって少し早くなった感じもあるけど。


わたし、幼稚園の頃にタマゴテングダケ(こういう、きのこ、私好きでよく調べてたんです)の絵を精密に描いていじめられたことも

渡辺くんというすこし脳に障がいのある子と仲良くしていたことも

小学校に入ってメガネなのに頭が悪いことにコンプレックスを抱いて夜中泣きついてお母さんと筆算を猛勉強したことも

中学に入ってある女の子をいじめる男子の前に飛び出して怒号を飛ばしたことも

昨日まで仲の良かった女の子にカラオケに行こうと言って無視されたことも

文化祭の練習で熱中症になって吐いたことも

高校では勉強で負けたくなさすぎて毎日血判をつけていたことも

修学旅行では一人で海底2万マイルを読んでいたことも


何もかもよく覚えている 特に仔細な記憶が異様に脳裏に刻み込まれている。嫌なものも含め 嬉しいものも含め。これをもうあと三倍の年数やるなんて到底考えられない!気がおかしくなりそうだよ!

その間にやりたいことを成し遂げられるのかな…

それにそこまで生きられるのかと言ったらそう言うわけでもない 私は不安だ…


昨日まで高野悦子の本を読んでたからかはわからない。だけどほら、学生運動に身を費やして勉強を重ねた彼女が二十歳で命を落としているわけでしょう?

私は彼女よりも四年も生きているのに、なんにもわからないし、何もなし得ていない。彼女こそ確かに存在は亡くなってから大きく広まったけれど、肉体から文字がほとばしるようにうみだされた日記、その生命力は尋常じゃない。


何かなし得るために、わたしは人生できているんだろうか?毎日過ぎ去る日々の中で私は仕事と向き合えているんだろうか?もともとそんな問いかけさえナンセンスだと思っていた。焦れば焦るほど無駄だと思っていた。

でもお金をもらうようになって、この金額は私の些末な働きに見合っているんだろうかと何度も考えてしまう。 不思議と誇らしい気持ちよりも不安が勝る。

わたしはそして、何になればいいのか? 何が最もただしいのか?自分の正義を信じ続けても、たとえばそれが遥か彼方にある夢だとして…

わたしは短い いやとんでもなく、長いのかもしれないけれど、使い方のわからない時間が向こう岸まで並ぶこの世界の中。

わたしは上手くそれに近づけるのか?

何もできてない。

とにかく高校を卒業してからわたしは何もできていない気がする。なんでこんなに焦ってるのかも 不安なのかもよくわからない。

でも不安は確実にあるのだ。

こっちを見つめている脚の長いおじさんのようなかんじで、じいっとそこに立ってずっとわたしのことを見ている。

(別にあの、これは妄想とかそう言うのでもなんでもなく、昔から、擬人化で物事を表現してしまう癖があるだけです)


あ!知ってるぜこいつは冬の鬱だろ!と思って太刀打ちしようとしても全く違うんです


サークルの先輩のあの人が記事に特集されている不安、同期のあの子が上手くやっている不安。

例えそこに尋常ならざる多量の努力が存在したとしても。到達点があまりにも綺麗でわたしにはその綺麗な頂点しか見えない。醜い。私ってマジで醜い生き物なんだよな。


くやしいよ!わたしはなんだかもう まつ毛がひっくり返って黒目にずくりと刺さるくらいくやしい。応援したい?応援ってなに?もう足も動かんし。もう本当に辛い。抜け出したい!肉体、肉体もうまく動かない。ポンコツの機体に乗せられて宇宙空間を漂い続ける。目的地とは全然違う方向に。キリコキュービィもびっくりの冷凍睡眠…


この頭皮から爪先まで覆い立てる悔しさ劣等感不安感 私だってやりたいことやってやる、って、言いたい。あー、くやしい、いつも悔しいが今晩はもっと悔しいんだ。

だめだ、意気地なしで涙脆くて癇癪持ちで、温かいお湯の一つ飲めない困った女がここにいる。


なに一つできてないわけではないけど。

この道が間違ってたかなってちょっとでも自分に疑問に持ってしまったのが悔しい。


なんだかわからないこの言いようのない不安、これともっとずっと付き合うならもっと上手くやりたい。上手くやるってなんだよ。正拳突きしかしたことないわバカ。なにポジなんだよ!


あーわーぴーーー言いたいこと全部言った 

戦争 本当に無理です なんとかしたい

おやすみ

君が過ごした木屑まみれの段ボール


「トラ子っでらんだ(トラ子っていうんだ)」

「うわっ、猫だ」


おじいちゃんの見事なズーズー弁が紹介してくれた、段ボールの中の猫。それがトラ子。

猫、犬、うさぎ、いわゆるペットにするような動物は得意ではなかった。特に猫。昔友達の家に遊びに行った時、ご機嫌斜めな猫ちゃんに飛び掛かられたことがあったからだ。しかしそんな心配はどこへやら。トラ子はとんでもなく人懐こく、ひと目見た瞬間すすすーっと寄り付いてきて、手のひらの匂いがわかるのか、私のまだ子供っぽい爪の先を見つけるとぺろぺろと舐めはじめた。最初こそ舐められることに抵抗があったけれど、親愛を込めたような、ちょっと目を細めた表情で何度も何度も舐められているうち、どこか心の奥が満たされたような気持ちになった。


彼女が北津軽郡雄大な土地にやってきたのは2011年のことだった。おおきな地震のあと、少し心細そうだった祖父が、頬を桜色に染めて猫に餌をやっているのをみてずいぶん安心したことを覚えている。この猫は、もともとどこかの飼い猫かなにかだったようだけれど、震災のごたごたで彷徨った果てに北津軽郡鶴田町の鄙びた集落に行き着いたようだ。萎れたボロボロの彼女をおじいちゃんが見つけ出した。そして大きなりんごの倉庫の中にある煤けた事務所で、ストーブをつけながら来る日も来る日も面倒を見たのだった。

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2014年の彼女 わかいねえ


トラ子はほぼ放し飼いのような状態で、おじいちゃんの家から外に広がった庭園、だだっ広いアスファルトの道路、そこをまっすぐ行った先にあるリンゴ畑や猫の額ほどの神社に遊びに行っていた。ここ二年は新しくできた公民館のアイドルのような存在になり、会ったこともない家の子や、知らないおじいちゃんおばあちゃんからもたくさん可愛がられていた。小学校の体操着を着た何人かのいがぐり頭の子たちが「トラ〜!」と言って遊んで回るものだから、あんなにつまらなそうだった寂しがり屋のトラ子のくせに、ずいぶんとめんどくさがりながら相手をしていたっけ。


だけどトラ子はどんなに遊んでも、必ず、りんごの倉庫の中へと帰ってきた。遊び疲れて少し眠たそうに、とぼとぼと鉄扉をくぐると、もう十年近くつかっていただろう段ボールの寝床にぼすん、と横たわるのだ。木屑まみれで汚くて、だけどおじいちゃんの匂いがしっかりと染みついた事務所が彼女は何より大好きだったんだと思う。たまに、お昼こっそり従姉妹と寝ているところを覗き見しながら微笑みあったものだ。この場所は私たちの秘密基地でもある。眠そうに帳簿をつけるおじいちゃんが、ヤクルトをたくさんくれるし、チョークでどこに何を書いても怒られないし、すやすやと寝息を立てる猫もいた。ドアを開けると高度経済成長の頃から存在したりんごの倉庫。うずたかく積もった埃が、猫の動くたびバアッと舞って、陽光の射した場所だけがきらきら煌めく。

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パレットの上 あ〜!お客様、こまります、、


彼女が私に教えてくれたのは、友好的で人好きする猫がいる、というだけではなく、猫が存在するだけで空間が意味を持つということだ。ボトルクレート(牛乳瓶をいれておくようなやつだ)が積み上がっているのも彼女にとっては素晴らしいおもちゃになる。4メートルくらいある天井に向かって階段のように積み上がったそれを、行ったり来たり、時には降りられなくなってしまって、従業員さんがフォークリフトで助けたりなんかもしてくれたらしい。雄大な自然とゆっくり流れる時間、昭和の全盛につくられた豪奢な一軒家、私の大好きな全てが詰まった場所に、さらに好きな猫が加わり、いっそう毎年の帰省が楽しみになった。


『ギニャーーッ!!』

『バチチチチチ!!』


夜中、少し涼しいくらいで東京と変わらず寝苦しい夏のこと。鳴き叫ぶ猫の声が聞こえたものだから、不安になって電気をつけて外に出ると、ずいぶん誇らしげな顔でだらんとしたセミを咥える彼女の姿があった。息耐えきれず少し動いているセミが気持ち悪い。だけど、これやるよ、と言わんばかりにドヤ顔の彼女を前に、えーなんかやだなと思いつつも受け取ることに成功した。後にも先にも一度もない、私が大嫌いなセミを触った瞬間だった。そのあと、ネットで検索して猫が好意を持つ人に贈り物をすることがあると知れば、私の気分はうなぎのぼり。ちゅーるをドゥルドゥルあげてしまった。自然の仲間たちも、彼女にとっては絶好のおもちゃだったんだろう。


猫が来てから少し年が経って、おばあちゃんが東京から青森に戻った。彼女は少しトラ子が苦手だったようで、家に入ろうとしてくるたびに「ダメ!」と叫んではぴしゃりとドアを閉めてしまっていた。ただここ数年は、おばあちゃんも歳をとったのだろうか。すっかり心を許して「トラ」「トラはどこ?」と何度も口に出していた。

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トラ子の前に手を差し出せば餌になるのだ


今整理のため倉庫は賃借にだされて、大好きだったトラ子の寝床、もとい、おじいちゃんの事務所もなくなってしまった。

「爺ッちゃん、トラ子がいないよ」

「倉庫の方サ、いるっきゃぁ…」


去年、何となく行かなければいけないような気に駆られ、なんとかして繁忙期に休みを取って青森に向かった。そうすると、倉庫を恋しがって開かなくなった鉄扉の前でジイっと、待っているトラ子の姿があった。もう痩せて、あまり動かず、ただ扉が開くその瞬間を耐えるように待っていた。おじいちゃんも寝たきりになって久しく、大きな声も出せなくなってしまい、にゃあ、にゃあと鳴く彼女に応えられず、静かに涙を流していたっけ。


東京は寒い。けれども、青森の方がもっと寒い。雪の積もる厳しい冬を乗り越えるため、おばあちゃんとおじいちゃんはトラ子をたずさえて東京に来た。彼女が生まれて初めて揺られる五能線、にゃあにゃあ、不安そうに何度も鳴いて、なんとか命を繋ぎ止めて、東京にある叔母さんのもつ一軒家にやってきたのだ。その頃から目が見えづらくなっていて、あまり鳴かなくなってしまった。


そろそろこのブログを書いている理由をつたえなければならない。文字にすることも憚られてしまう。でも、言わなければならない。


トラ子が今日午前九時、東京の家でひっそりと息を引き取った。東京に来たトラ子はひどく居心地が悪そうで、知らない場所とにおい、今まで飲んだことのない質の水に戸惑っていたみたいだった。普段しない場所におしっこをしてしまったり、寝るときに玄関先に降りてきてしまったり。目を閉じて臨終をむかえたその横顔はひどくやつれて、痩せていた。何かと戦ったみたいに。


恋しかったんじゃあないかな、と思う。木屑まみれの煤けた段ボール、埃っぽい倉庫の匂い、おじいちゃんが何十年も座っていたギシギシいう椅子に、効きすぎなくらいの石油ストーブ。青森のおだかやなみどりたっぷりの空気から、きつくはりつめた東京の空気にやって来て、どんなに心細かったことだろうか。寝たきりのおじいちゃんに構ってもらえなくなって、どれだけお互いに、寂しかったことだろうか。


今なら少し高くて人懐こい、猫撫で声とはまさにそのこと、というようなあの声が、天高く響くようなそんな気がする。長い舌で必死におじいちゃんの手を舐めながら、お腹をでんと出して、撫でろと言わんばかりの表情。君はいつだって、私たちの大切な記憶に住んでいる。木屑まみれの段ボールの中、ゆっくり寝息を立てているトラ子。起きたら倉庫で遊ぼうね。カリカリを食べてるその横で、ヤクルトを飲んで待ってるから。


あまねより 本当に大好き


あいをこめて

美味しい痛み


美味しいものが好きだ。美味しいものを食べるとき、必ずいただきますと言う。身体のどこかは甘く痛む。それはなぜだろう。

うなぎが好き。ちょっとほろほろに焼いた蒲焼き、甘じょっぱい焦茶色のたれが絡みついてアツアツのまんま舌に乗っかる。山椒の小粒が細かくなったものをパラッとかけちゃったりなんかして。養殖のこはでっぷりとして脂みが強い。甘だれと良くあって、すいすいお酒が進んでしまう。日比谷のきくかわ、そんな感じだったなあ。

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うなぎが とにかく大きい…そんなに載せちゃって大丈夫なんすか…?

肝焼も本当にいいのだ。

反対に野田岩のうなぎは端正で整っている。とにかく身がギュッとしまっていて、あっさりとしているのにどんどんご飯が進む。少ししょっぱめのタレと絡んでいるからだろうか、ピリリとした山椒も最高だ。これはこれでスッキリとしてまた美味いのだ。

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ラーメンも好きだ。

ゴワゴワした麺に絡みつく豚骨出汁のスープが好きだ。みんなラーメン二郎のことを勘違いしている。ベースのスープが割とあっさりめの豚出汁だから、しょっぱいチャーシューと太めで硬い麺とニンニクを載せて成立する美味しさなのであって、決して重かったりこってりすぎたりすることがない。だからスイスイ口に運んでいけるし、女性にも本当におすすめなのだ。(非乳化に限り)

もちろん正統派醤油ラーメンも好きだ。目黒勝丸、トイボックス味玉醤油。透き通った薄茶色に浮かび上がる麺のツヤとコシ。うまい。


肉もまた好きだ。肉というと括りが急に広くなってなんだか要領を得ないかもしれないが、本当にどんな物のどんな肉でもいいのだ。

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金肉屋のシルクレバー。うっすら焼き目をつけて食べる。これは涙が出るほど美味いのだ。

元気がない時はいつも肉を見るようにしている。ウィキペディアで食肉を検索して眺める。私は、こんなに沢山の処理された肉を食べられる可能性を持っているのだと、元気が出てくるのだ。豚や牛、鶏に限らずロバラバ兎、羊に山羊にカンガルー…


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9F%E8%82%89

こう言った事柄を述べると、かわいそうだから〇〇の肉は食べられないという方が一定いる。もちろんその気持ちはわかる。競馬をみるとき少し悲しくなるのと似ているだろうか。(もちろん今となってはG1まで出て屠殺というのは少ないと思いたい)

でも少し思う。何かの肉を食べるのが残酷であるなら、今自分がここで生きていること自体残酷ではないと言えるのだろうか。なぜ自分からその残酷を選んで日々を生きるのか。息を吸って、吐いているだけでも、影響を受けてしまう動植物は少なくないだろう。充分に残酷な存在なのに、かわいそう、という言葉はつるつると口を滑って出てくるものだ。自分が今ここに生きているということが無数の犠牲に成り立っているということを忘れてはならないし、だから美味しいものを食べる時、わたしの身体の何処かはズキリと痛む。


古今東西あらゆる食材に出逢いたい。それが残酷であろうと、気持ち悪いものであろうと、私は私としてこの世界に生を受けた限りすべての肉が食べたい。

では

amane的2021年K-POPベスト

一条の光はいつ訪れるかわからない

 

2021年、特にそれを実感しました。

 

さて、年末恒例(まだ2回目だよ)K-POP振り返りいきます。

Beautiful Beautiful  ONF

ぱんぱらんぱらっぱんぱーーーん

 

はいでた。2021年ベストオブベスト。

 

これがもう、パンデミックの、薄暗い、どこに進むかもわからない鬱屈とした日常をどこまでも明るく照らしてくれる讃美歌として、頭の中に高鳴り続けた人たちはさぞ多かったのではないでしょうか。ターザンボーイとかスターシップとかそのへんの80'sサウンドが好きな方には大刺さりしたに違いないでしょう。とにかく明るい!だってbeautiful beautifulですよ!?

 

「I’m Beautiful 노래해 yeah yeah yeah

I'm Beautiful 歌うよ yeah yeah yeah

 

내 삶의 모든 외침이 곧 예술 예술 예술

僕の人生のすべての叫びが きっと芸術 芸術 芸術」

 

あー、歌詞もすんばらしすぎて涙出てきた。

 

 

毎度毎度この、VFXドデーン!!!というMVをまざまざと見せつけられるたびに、音楽性だとかダンスの実力だとかもういろんなことを置いておいて(もちろん置いておけないくらいにONFのみなさんが凄まじい実力を兼ね備えているのはご承知のことだと思うが) 突き抜けるような明るさが美しくて圧倒されます。いや、ブレードランナーやんけwwとか、攻殻機動隊かてwwとか、まあなんかその辺の言いたいこととか全部マジでマジでどうでもよくなるくらい、聴き終わる頃には「ぱんぱらんぱらんぱっぱーん!」中毒になっているはずですから。ユウトくん以外みんな兵役に行ってしまったオネノプですが、この曲で一位取る前あたりにひたすらババ抜きだけやってる配信とかあって(しかも一回だけじゃなくて何回も)本当に仲良しなんだなあと思えて、推せます。WMエンタの至宝だよなあ。

 

savage  aespa

 

Oh my gosh!

Don't you know I’m a Savage?

 

 

っーでたー!!!パンデミックに現れた一条の光②ちなみにこれから紹介するものも全て光なのでこのくだりは以下から省略していきます。

ギャルだ…サイバーギャル…

KWANGYAとかいうよくわからんコンセプトだけを確実に消化していく脚長軍団…

多くの人間を虜にしていったミンジョンことウインターでも見てもらいましょうか、ええ…

 

おかっぱ×サイバーパンク なんで二次元状態。こんなに似合う〜

公式sb1】【テレビ1列_]aespa_ ウインター「Savage」(aespa_ _ WINTER FanCam)│@ SBS  人気歌謡_2021.10.2 | wowKorea韓流速報 | wowKorea(ワウコリア)

え〜!!!ツインテも超似合うーっっ

aespa, Savage [THE SHOW 211026] - ニコニコ動画

う〜ん 顔いいね

 

FAVORITE  NCT127

ホントはstickerとどうするか悩んだんですが(マジで)個人的にはこの年に、このコンセプトNCT127のリパケで(ここ大事)ぶつけてきたのが趣深くて。EXOだったらこんなコンセプト何度もやってきてるわけで。でもやっぱりアイドル売りは頑なにしてこなかったNCT127がここにきて急にビジュアル系アイドルムーブですよ。いや好きにならざるを得ないというかマジで本当にアイドルっぽくて好きでしたね。あと曲調もかなりマイナー気味で、薔薇の中でedmになるところ以外はマジでぶっ刺さりでした。ちょうど紅葉になり始めるくらいの頃合いだったと思うので、その時期にこれ聴きながら空を見上げると本当に歌詞の通りの辛い恋愛をしているのかと思い込んで少し涙流すなど…いやー!ヴァンパイアとの恋愛!?サイコー!(誰もそんな話はしていないのである)

 

사랑해 또 사랑해

愛して また 愛して

 

더 지독하게 아프고 싶어

もっとひどく苦しみたい

 

しばらくこれで自家発電(意味深)できるくらいには完璧です

個人的にはユウタくんのところでなぜかギニーピッグの人魚の話が思い出されました 赤髪美青年をバスタブに沈めようと思った監督絶対HTMLタグで小説サイト作ってたろ、友達な!

 

IVE ELEVEN

IVE】レイ (直井玲)のプロフィールと人気ランキング! - KPOP JUICE!!

 

レイちゃん💛日本的なアイドルの可愛さを韓国に持ってきたのが本当に大きい。勝利です。155cmのお顔の169cm。最高に偉大です。ツインテール似合いすぎる。スタシの今のプロデューサー絶対地下アイドル好きだろ。ギュウ農とか来たら即死しそう。

 

U MAD bobby

ヒ…父親…おめでとうッッ…!

今私が幸せなのでいいのですが状況が状況なら年の瀬にまた発作起こしてた所です

「あ?泣いてんの?」

じゃねーわ!ホント女泣かせなやっちゃ

 

あーかっけえ

ダウナーなヒップホップとして、ラップとして完成度がマジで高いので普段釈迦坊主とかTYOSHINとかきいてるひとにもおすすめです バビにも早く界隈と絡んでほしい〜よ〜だめなのかな〜

 

このなんかちょっと汚い背景がマジでツボ 似合いすぎる でかいし顔もイケメンではないけどマジで「イケてる」

俳優としての絵力もあるよね

 

今年じゃないけどよく聴いた曲

 

SAVIOR SHINee

kenzie節の中でもかなり好きな部類です。

SHINeeが帰ってきた!という節目の年であった2021年。あんなに嬉しそうにニッコニコクソガキムーブしてるテミンちゃんをみたのがなんだか久しぶりだった気がして、かくも兄の存在は大きいのかと目を見開きました。知っているお兄さんのミノとキーもまた最高。あっ、脱線した。そうそう、SHINeeがカムバしたじゃないですか、ドンコールミーって曲で。

で、やっぱり過去の曲も遡ってまあそれはそれは聴いてたわけですよ。(メリミュの本国版を買いにグロ遠い武蔵野のイオンまでバスを使って片道2時間かけて向かったのがついこの前のことのように思い出されます)

それで夏にかけて暑くなる時期にこの曲がCDコンポからポコポコ…と爽やかな音を立ててこぼれてきて。なんつう新鮮さと伸びやかなサウンド、ちょっとライブ向けに作ったんだなと言うのがわかるノリノリな雰囲気が最高に今年の去年より確実に開放的な夏にマッチして、毎日聴き込んでいました。私も「두드려 Door to my soul」で腰を動かして「ユーウァッ!」ってコールしたいなあ。この、年末特番のSHINeeちゃんたちも最高に楽しそう。うん。これからもこの人たちにやわらかくいつまでも綺麗なひとときが訪れますよう。祈ります。ジョンヒョンの伸びやかな声は絶対的なアクセント、神からもらった約束だったんだなあ。

 

love parade 大国男児

 

ハラハラだけどド〜キド〜キ〜はじめてのカノジョ〜

 

去年で言うSM⭐︎SHのBounce up 枠なんですけど、いかんせんSMAPの作曲家さんが作ってるのでメロディがかなり仕上がってるんすよね アイドル曲として満点。ちょっと雑な感じになってしまいましたがパラムくんがインスタグラマーとしてまだ活動してるのを見て少し明るい気持ちになる、そんな年末でございました。

カレーが美味しい

カレーが美味しい。何でだろうか。取り止めもなく日常は過ぎていって私はなぜ生まれたのかいつも考えているけれど、やっぱりそれは、煮込んだ玉ねぎとにんじんがほろほろにとろけて絡み合い、茶色く濁ったルウがどろーんどろーんと一体化して混ざって。カレーとして私の目の前に現れてくれちゃうからかもしれない。

大皿の上につやつやした白米が載せられて、その上にでろっと無責任に伸ばされたカレー。更にはチーズやトンカツなんかも入ってきてしまったりして、福神漬けのデコレーションが入ってしまえばもう完璧。茶色と白の混ざり合った複雑な模様の中に銀色のスプーンを差し込むととろりとした艶につぶつぶのスパイス。舌に載ればその瞬間広がる肉から染み出した旨みに後味には野菜の溶けた甘味が染み渡る。お前に会うために私は、日々の息が詰まるような出来事も全てすいすいこなせて(いるような気になって)いるのだ。


カレーのこと、もともと私はそんなに好きじゃなかったのよね。今なら私、そんなに長くもない脚を組んでそんなに長くもない腕をわざとらしく椅子の肘掛けにもたれかからせて鼻を鳴らして言っちゃうぞ。元彼との馴れ初めのように堂々と。だって、みんなが好き好きって言うから、そんなに万人から愛されるタイプって、面白くなさそうじゃない。小学校の頃はそんなに大したことないと思っていた給食のカレー、私は魅力に気づくつもりもなかったし、目もくれなかった。だって私が好きって言わなくてもみんなが好きだし、それにそこまで深みを感じられなかったから。え?そうね、私は給食に出る食べ物はかきたまスープが一番好きだったわ。

やっとわかった。私勘違いしてたのよ彼のこと。誰にでも愛想振りまいてる面白味のない、なんの変哲もない味のやつなんだって…

でも本当はさまざまな側面を持つ彼の中にはとんでもなく美味しいヤツが存在しているってこと。


「あまねちゃんここ絶対好きだよ」

低い音で呟くせかいひろし。この可愛い可愛い女の子に連れていってもらった青森の地下にあった市場の隅っこの食堂。笑顔がひだまりみたいなおばちゃんがやってるところで、9月末で営業元の会社が変更になってしまったらしくもう女将さんのものは味わえないのが悲しい。しかしカレーは継続して提供中とのこと。昔の給食でしか見たことのない銀皿に載ってぼーんと提供されたカレー。でっぷり載った優しい茶色のルウがどろどろになっていて艶々と市場の蛍光灯を反射して光りつづける。ぽんと置かれた味噌汁の謎さも相まって魅力しかない。そしてもうめっちゃ美味そうだし夢中になって口へ運べば実際めっちゃ美味い。

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「うわっ!え、美味い」

気づけば声が漏れていた。見た目と違って割とガツンとくるスパイスは完全に大人向け。しかしほんの少し香る出汁やほろほろに溶けた鶏肉、無数にとけている玉ねぎが舌触りをまろやかに変えていくらでも食べ進められる。玉ねぎと人参は本当にいくつ使われているのだろう。このとろっとしたルーはまさしく白米専用。白米以外にこいつを渡しちゃあいけねえぜ。いや、もしかしたら出汁をもう少し加えて割ったらカレーうどんにできるかもしれない。ていうかカレーうどんにもしてみてほしい。赤くパキッとした色使いの福神漬けはあっさりしていて口直しに最適。まじでテイクアウトしていきたい美味しさ。知らぬ間に半分以上食べ進めてしまって途中にわかめの味噌汁を挟むことにする。的確なインターバルは食事にとって何よりも大切。一つの昼食にも緩急は必ず必要なのだ。というか知らんけど、私的にはそうだ。

「う、うまい」

何度目かわからない私の呻き声のような呟きに、ひろしが満足げに歯を出して笑っているのが見える。カウンターに座ってただカレーを食べているだけに見えるだろうか。いや、そうではない、そこにはこのカレーを食べることでしか分かち合えない熱い(物理的には暑い)感情があったのだ。

「ごちそうさまでした…」

「はーい」

のほほんとしたおばちゃんの声が耳に心地よい。大体のサラリーマンやちらほらくるお客さんもやはりカレーを頼んでいる。海鮮専門の市場なのでもちろん海鮮系定食も備えているのだが、カレーが美味すぎると言うのが理由だろう。カウンターの向こう側に見える大きすぎる寸胴鍋の中に煮込まれているカレーの中身が気になる。

「おばちゃん、わたし、高校生から、ここに通っててね…」

「あらあ、覚えてるわよもちろん」

もうあと数週間でいなくなってしまうと言う店先の彼女に向かって、勇気を出してひろしが話しかけているのを見た。それは言葉にするにはあまりにも優しくて、あたたかくて、ちょっと切ない二人しか知らない時間のながれる場所だ。東京から来た余所者の私は、ただただ、にこにことわらってその光景を見つめるばかりだった。あれは、久々にいいもんを見た。なんていうか、生きてるうちにある場所でそれなりに時間を過ごして、物を食べる、食べさせるっていうのは、意味のあることなんだなあと思わさせられた。覚えていてくれる人を、どれだけ大切にできるのか、人の暖かさや味わいってのはその辺から生まれる気がするんだよな。あの時は派手な髪の毛だったわねえ、とか、あれは大学生の頃で、など、いくつも懐かしそうな言葉が飛び交う。あのときのひろしは何処か恥ずかしそうでそれでいてすっごく嬉しそうで、ほかほかのカレーみたいに湯気がたってたんじゃないかなあ。ちょこんとまとまって二人で撮っていた写真は涙をもらっちゃいそうになる程、素敵だったよ。


何の話してんだっけ。あ、カレーか。青森駅前の丸青食堂のカレーは本当に美味しかった。マジでおすすめなんで、青森アウガに行くことがあればぜひ行ってみていただきたい。そして私が一昨日食べてたのは普通にかつやのドロっとした黒いカツカレーだったけれど、あれもなかなかにうまい。カツに載せる前提で作られてるからやっぱりかなり濃い味になっていてソースのように強く辛口で美味い。さらに気づいたのは、シャキッとしたキャベツにあのルーをかけて食べるとまた深い濃い味わいがさっぱりして歯の奥で弾けるわけよ、それもまた美味い。


まあ言いたいのは、カレー美味い!カレーサイコー!だから私は最近気づいんだよね、実はカレーのこと、めちゃくちゃ好きだってさ…。

秋の冷たさと鬱


9月というのはなかなか残酷なやつで、私が予想していない間にするりするりと長いワンピースの裾先から入り込んでは胸元に肌寒さを与える。私の胸元は元々そこまで張りがある方ではないので、すぐにその風は広がって頭の方まで涼やかに。思考のクールさというのは極めて重要でありながら、鬱屈とも隣り合わせであることを忘れてはならない。そう、鬱の季節はもうすぐそこだ。きたぞきたぞ。全力で回れ右だ。


夏だからと言ってみんな浮かれていたのではないだろうか?かく言う私もその一人だ。いつもなら着ない短めのTシャツに、ハイウエストのダメージジーンズ、プリン頭になった犬のような汚いブリーチ・ヘアを合わせて浮かれポンチ。きっとワクチン二回完遂したことにかまけてかつてよく顔を出した古書店に行ったり、勝手のわからない初めての喫茶店で分かったような顔で注文をしたりしたのではないだろうか?紛れもなく私はその一人だ。夏の日差しは今年さほど苛烈ではなく、時折降り注ぐぬるい雨、上がった後の白い風がさらにその過ごしやすさを増していた。さすがにお盆の時期に冷えが来るのは霊感バリ5家系の私にはなかなか堪えるものがあったけど、まあこれも「涼しさ」ってことかと思えばやりきれた。そういえば今年は夕方になると母も私も近所の静かな公園で人影をよく見かけた。あと早朝にオオミズアオが二匹マンションの上の階と下の階にまったく同じ位置で死んでいた。


とはいえ。夏は夏だ。サイコーだ。夏は暑いし海は青いしプールはさらに冷えてキンキンで、エアコンの効いた部屋で齧るアイスキャンディー。夜に飲み干す缶ビール。塩焼きにした鶏肉にレモンなんか絞っちゃったりして、適当につまみ一つ作って白米と食ってればそれだけで万々歳なのだ。わかるだろうか。寒くなればこれからグツグツ煮込んだうどんと熱燗なんてやっちゃったりして、それもまた一興。ああ違う違うそうじゃない。

寒くなったら何がくるか。それは紛れもないマイナス。日はどんどん遅くのぼり、日照時間は減り、外に出るたび「あーこの格好は肌寒いわ、でも家帰って着替えたら間に合わねえわ」と思い、そのまま外で一日を過ごして家で風邪をひいたことに気づき。夏は一杯だけでよかったはずの白米はおかわりに手を伸ばそうとして。夜は何となく吹き付ける風と肌寒さに寂しさを覚えていつもは連絡しないような相手にしなを作ってみたりするのだ。そうして遅く朝起きて気づく、自分が醜く太って、寒気を理由に嫌な人間になってしまっていることを。より冷えた脳みそが、阿保をやることを許してくれなくなっていく。なくなっていく日照時間の中、暗闇で熟考し悶々とする時間は増える。そうこうしているうちに黒ずんだ皮脂のようにギトついた「何か」は近づいてくるのだ。しかも一度こびりついたらなかなか離れてはくれない。行きはこんなにすんなりくっついてくれるのに、帰る気配が一向に見えない。彼の名前は「鬱」だ。

こいつはマジですごくて、夏になると「今自分出番じゃないっすね」と空気を読んでくれる。友達と集まってバーベキューなんてしようもんなら、その匂いを嗅ぎつけて涙するくらい、こいつはザ・夏な感じが嫌いなのだ。波物語とか行ってたら涙流してジタバタ騒いで、ジブさんの顔なんてもう見れなくなってしまったのではないだろうか。知らんけど。そのくせに9月になると急にめちゃくちゃ元気になって、文化祭の準備に明け暮れたあの放課後の香りや、夏のリビングEDMお馴染みのセミとは裏腹に蟋蟀やら鈴虫やら各種虫の鳴き声も召喚しちゃったりなんかして、フロア(私たちが生きる世界)を「寂しい」「わびしい」空気に転換しようとしてくる。と言うか実際なっているのだ。体調が空気に左右されやすい敏感な人はみんな気づいてるのではないだろうか。


今年の奴らは、なかなか仕事が早い。


みんな、どうか鬱がやってくる前に、自分一人だけでもいいからパーティのひとつでも開いてくれ。どんなに明るく虚勢を張ったって無駄だ。あいつらどうせやってくるんだから。もう9月1日だから。君のすぐ隣に、ニコニコしながら熱燗啜ってんだからさ。せめてビールでも飲んだくれて、今日の夜は終わりにしようぜ。

ネイルサロンにいるスパイに関する手記


働いている間じゅうずっと自分の爪を見て満足したいのでよくネイルをします。


セルフでもやるんですが、今日は気に入っていてたまに行くサロンの話でもしたいと思います。地下鉄の新宿線沿いにある駅から徒歩3分くらいで到着する。立地はまあまあ、頑張ればJRの駅からも歩ける場所にあります。繁華街を抜けて5階くらいある大きな本屋を右手に見ながら古臭い橋を渡って、横断歩道を渡るとまいばすけっとやら何やらと300円均一の雑な居酒屋が並んでいるのが見えます。向かい側にはベローチェ。この辺住んだらまあなんかご飯には困らなそうだなと言う場所で、さらに路地裏に入ると新旧の中華料理屋がバラバラと出て来ます。


まあ、で、まいばすの通りに入ってしばらく歩くと築30年くらいの少し古びたマンションが出て来ます。


白い壁は所々グレーの汚れだったり擦り跡があって、下の方にだけ茶色いタイルが飾り付けだけのために貼ってある。ポストは銀色に黒ダイヤル。フロント部分の床はこげ茶のタイルばりなんですけどハニカム貼りでなんかやっぱり古めかしい。バチバチ唸る切れかけた蛍光灯はうるさくて薄暗い。しかも一階の裏側が謎の居酒屋(昼は空いてない)なので、少しにんにく匂いが立ち込めて余計に変な雰囲気。


そこのガッタガタいうエレベーターに乗りこんで、丸型で指先くらいの白いボタンを八階で押す。毎度その可塑性の高さに驚く。押した指先ごとどっかに持っていかれそうなそんな感じ。ところでこの形式のエレベーターボタン大好きなんだけど、誰かわかる人いますか。昭和感とフォントの丸っこい感じが大好きで、古いビルに入るときにいつもエレベーターがこの形式でありますようにと祈っています。


話を戻すと八階に着いてガッショオンと扉がひらいて進めば801号室と貼られた部屋札の隣、ドアのど真ん中に「ねいる〇〇」と全部ひらがなで書かれたスケッチブックの切れ端がバァンと出てくる。この時点でわたしはもうめちゃくちゃおかしくて、何度来ても笑いを堪えきれない。面白いな…


ギィ一と音を立てながら開く鉄扉は実際かなり重い。最初来た時は私も本当に後悔した。これから何が始まってしまうのだろうかと。でも開けてみるとオフィスのようなグレーのごわごわしたカーペット張りで白壁紙、白天井が小綺麗な一室が出てくる。



なーんだ、普通じゃんと思って靴をスリッパに履き替えていると、すごすごした様子で淑やかなおばさんが小さな声で呼びに来てくれる。


「こんにちは…」

「はーい、17時から予約してる○○です」


あとは席に着くよう促されて、ガラス張りのテーブルに手を晒して、ネイルのオフが素早く始まって…そんな感じで意外と淡々と施術は進んでいく。特筆したいポイントがいくつかあって、それはこのおばさんがめちゃくちゃ手練れだということだ。削る機械を使っているとはいえネイルオフにかかる時間は15分強。しゅばしゅばと神の手捌きでネイルを剥がし終えると、それはやりすぎなんじゃないかなって勢いで爪の表面を削られ始める。小さい頃にレシートの裏を爪磨きとして使った時に感じた、爪から皮膚まであと少しでスースーするあの感覚をまた味わえます。まあちょっと怖いので「軽くやってください」とか「ちょっと痛いです」とか、簡単に要望を出すと、スミマセンとか細い声で呟いてまた激しい勢いで爪を削り始める。この場所に来ると自分の今までの常識とかなんだったんだろうなあと改めて問うことができるので有り難い。真実なんていつだって軽薄で人を裏切るから、信じてない方が楽なんだよな。棚の上にあるどでかいモニターで流れてるテレビ番組を、首を持ち上げ適当に流し見する。このおばさんは、おそらくあまり日本語が流暢ではない。それなのにも関わらず日本人の客に向けてどでかいテレビで彼女にはわからないバラエティ番組をひたすら流し続けている。


白い部屋の中で削られた爪の粉がふわりと舞ってコンタクトレンズの表面にパラパラ入ってくる気がして、目をキュッと閉じていると「いたいですか?」と弱々しく聞いてくるのだ。「いえいえ、なんともないです。すみません」


私は思う。もしも、この粉が、爪なんかではなく何かとんでもない幻覚を見せる薬だったりしたら…


とんでもなくつまらないバラエティ番組のせいなのか、思考があらぬ方向へカタンと揺れて元に戻れなくなってくる。


ところでこのおばさんの凄いところは、とてつもなくセンスがいいところだ。フォーマルなものもファンシーなものも、少し派手でゴテゴテしたものも、全て統一感ある仕上がりにしてくれる。写真も見せれば一発で再現してくれるのだが、私はこのひとの柔らかく優しい、それでいて明るいカラーの仕上がりが好きなので、色見本だけさしてあとはお任せしてしまう。


オレンジやピンク、暖色が爪に乗っていないとご飯が食べられないなかなか面倒な性質の私だが、ぽつぽつと置かれたラインストーンとシェル、ラメラインでいつも可愛く満足いく姿に仕上げてくれる。一度全く意思が伝わらず想像の5倍くらいの大きさのラインストーンを三つも同じ指に置かれたことがあるけど、落胆したのはそのとき以来ない気がする。あととにかく安い。素材代以外取ってないんじゃないかと思う。シンプルなもので4000円代くらいで凝ったものでも6000円くらい。やっている時間も日によってまちまちで、事前にじっくりと予約可能時間をウォッチしておく必要があるのだ。それを考えるとこのひとはあまりこの仕事で儲けようと言う気もなく、適当にここで暮らしながら小遣い稼ぎのつもりでやっているのだろうかと考えが捗ってくる。何に脳を使ってるんだと思うかもしれないが、本当に店で流れているバラエティがおもしろくないので思考がどんどんエスカレートしていく。


もしかするとこのおばさんは、どこかから来たスパイのエージェントで、日本人は今日もこうだ、とか、日本人の見る番組はまじおもんないし、今日来た客は熱心にそんなものを見てやっぱり日本人は変だ。とか。窓の外から街の風景を眺めては平和な日々にため息をついてみたりとか。マツモトキヨシとか言う訳のわからないネーミングとまばゆい看板に目を細めてしまったりだとか。母国で行われていた激しい情報戦争の中で、唯一安まるのがネイルチップを作ってる瞬間で、今のこの小遣い稼ぎにそれが生きてたりするんじゃないだろうか。だとか。凄い妄想がグングンと広がって私と彼女しかいないこの部屋をもや〜んと包んでいく。あ、こんなに考えちゃってるぞ。勝手にひとのことを妄想するのはよくないな。と手元に目を戻すと、薄いピンク地にラメのフレンチが入ってラインストーンと貝殻のモチーフが両の中指。人差し指と小指には青いホログラムのネイルが施されて全体的に上品な仕上がりになっている。一応はオフィスワーカーの身として、上品であることはとても重要。うんうん、今回もまた完璧だなあ。何度も頷いてかわいい〜と呟く私に、おばさんも少し満足した様子でふふ、と笑っている。なーんだ、こんなに優しく笑ってしおらしくて、エージェントな訳がない。棚に立てかけられてるiPad的なものを使って情報のやり取りをしたり、キャッシャーにある金額の何万倍もの金を金庫に保持してたりなんてしないよな。全く私ってば何を妄想してるんだか。これだから暇な社会人は。


荷物を持ちながら帰り際に奥にあるキャッシャーで支払いを済ませる。ポイントカードも何一つなくて、その場で予約を迫ることもない。こういうドライでありながらさっぱりした関係性であるべきだよな、客とお店っていうのは。知らんけど、まじで知らんけど。


「ありがとうございました〜」

「ハイ、アリガト、ございマシタ」


膝だけをやや屈めてお辞儀をする彼女に向かって少し手を振ってギィギィなる扉を開く。うん。やっぱりなんの変哲もない少し昔の建物だ。やっぱりそんな物騒なことをするひとじゃないに決まってる。やっぱり猫と犬だと犬の方が飼っていそうなタイプだったからそう言う後ろ暗いことはしてなさそうだな。


この文章はここで途絶えている